記憶や経験の「存在の形」は変えられる

遠い昔のことを思い出しました。

私の右足のある部分には、少し大きめの「一生キズ」があります。
このキズがついたのは、私がまだ小さい頃(小学校低学年だったかな)

その記憶は定かではありません。

でも、今日のような雨降りの日。
一人で外に出てどこかへ向かおうとしていました。

家を出てすぐ、30cmほどの段差があるコンクリートの足場を踏み外し、大怪我を負ってしまったのです。

その後、どのように家に帰ったかは覚えていません。
気が付いたら、私の傍には母がいて、懸命にキズの手当てをしてくれていました。

そのときの怪我の痕が、今でも残っているのです。

私はどうして雨降りの中、一人で外に出たりしたのだろう?
記憶をたどっていくと、一つの光景がまぶたの裏に浮かび上がりました。

それは、どこかに出掛けようとしている母の後姿です。

そう、私は、その母の後姿を追って、一人で勝手に外に出たのです。

「母に追いつきたい」「私を置いていかないで」
今となっては、そんな焦りが私の心の中にあったのかもしれないなと思います。

悪いのは私。
母に後ろから着いてくるように言われた訳でもないのに、雨の中を勝手に外に出た私が悪い。
なのに・・・母は私に向かって「ごめんね」と言っていました。
母は「私が外に出たりなんかするから追って来てしまったんやね」っと・・・。

私が思い出す小さい頃の母の記憶は、いつもガミガミ怒っていて、ヒステリックで、支配的で、否定的で幸せそうじゃない姿です。
そんな母を思い出す度、私が受けてきた心のキズがえぐられ、母からもらった愛情なんて微塵も無い感覚に襲われていました。

でも、所々で、こんなふうに「母がひどく落胆している姿」の記憶が存在するのも確か。
その落胆は、私たち子供に対する不甲斐なさ、子供たちに肩身の狭い思いをさせているかもしれないという申し訳なさや不安や恐怖心から来るものでした。

その本心から出る落胆こそ、不器用な母の私たちへの「真の愛情」だったのかもしれないな・・・。なんてことも思います。

両親との関係性に苦悩し、親や自分の人生を憎んだことなんて数え切れません。
でも今、日々精神性を高め、自分と向き合っていく努力を重ねると、過去の記憶や経験の「存在の形」が変化していくのを感じずにはいられませんね。
日々、自分の「受け止め方」が柔らかくなるのです。

何事も自分次第であり、人は日々、進化していくものですね。

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